梅雨の時期

梅雨の時期気を付けたいこと。

湿度に弱い臓器は

膵臓といわれています。

ということは糖分解がうまくまわらなくなって

脳の働きが悪くなるらしい。

脳の高次機能障害は侵された脳の部分によって

いろんな症状が出てくるのだが、

たぶん龍は前頭葉が一番なのかも。

というのはいつも「ここがおかしい」とおでこを指す。

何かじんじんするとかビンビンするとか

感じてるんだと思う。

そうこうするうちに、

エネルギーが落ちて保続か緘黙状態になる。

アルギニン点滴のあとはやや落ち着いてはいるが

それでも波はある。

このような波を感じている患者家族もいらっしゃると思います。

ミトコンドリア病はストレスにとても弱いのです。

身体的にも、精神的にも。

精神的なストレスで様々な症状が出ているときにどうしたらよいのでしょう?

誰に相談したらよいのでしょう?

 

ミトコンドリア病の病状安定は一括りでは収まりません。

特効薬がない今は、対処療法しかありません。

ミトコンドリア病のメラスの脳の高次機能について悩みをただせば

データ解析といわれる神経内科、症状観察といわれる精神科が横に連携をとってもらえないと、患者本人のいのちと生活をつなげていくことになりません。

しかしいつも龍の主治医(神経内科)は、そういった精神症状については精神科にお問い合わせください、と。

たとえば、日常を逸脱してしまう衝動を抑えることができない患者を見守るためには、衝動を緩和する知恵を編み出し、それでも有効でなければ、衝動を抑制するお薬を与えながら、生活のリズムを守る介護のシステムを確立しなくては、家で過ごすことは難しくなる。

その知恵は多方面からの、絡み合った糸を少しでもほぐす方向でなければうまく運ぶことは不可能ではないか。

神経内科と精神科がもう少しつながりやすくなること

必要ではないでしょうか。

OLYMPUS DIGITAL CAMERA

笑って過ごす時間を大切に。makikoさんの手記

困難のある人へのサポート情報を提供するウェブメディア「soar」に、ミトコンドリア病リー脳症のママmakikoさんの記事が載りました。

makikoさんはこのブログにも紹介させてもらった音ごはん(リーダーもともとこさん)の子育て応援バンドのキーボード奏者です。makikoさんにとって初めての経験といわれました。ご紹介したいと思いブログに載せることをお断りしました。同じ患者家族として、同じ立ち位置でたくさん感じさせてもらいました。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

同じ日は二度とこないから、笑って過ごす時間を大切に。難病であるミトコンドリア病の子どもを持つmakikoさん

【写真】ミオンさんに寄り添うようにご家族が集まっている。

こんにちは!makikoと申します。

私は三人(長女、長男、次女)の子どもと夫、実母、犬1匹の家族と暮らしています。長女の美音は「ミトコンドリア病リー脳症」という難病があります。

ミトコンドリア病は、ミトコンドリアの働きが低下することが原因で起こる病気のこと。約7,000人に1人が発症するといわれており、全身に様々な症状が起こります。脳や筋肉への障害のほか、目、耳、心臓、肝臓、消化管、腎臓などの臓器にも障害が生じ、いまだに有効な治療法はありません。

今、美音はおしゃべりや歩くことはできず寝たきりの状態で、自発的な動きは瞬きのみです。しかし、表情は以前より豊かになっていて、体調も安定しているからか、ご機嫌な表情が増えました。最近、右手の親指が時々わずかに動くことを発見し、家族で喜んでいます。

私は、家族や地域の方々にたくさん支えてもらいながら、美音を育てています。

毎日バタバタと過ごしておりますが、家事育児の他に、子育て最中のママやパパへの応援の気持ちを込めたオリジナルソングを演奏するバンド「音ごはん」でキーボードを担当しています。

今回は美音にどんな症状があるのか、どのように病気と付き合いながら日々を過ごしているのか、お話させてください。

「こんなに愛おしい存在がいるんだ」難産の末、娘に出会えた

私は、「幼稚園の時からしっかりしていた」と母親や友人によく言われます。クラスの中で困っている子がいたら、面倒をみていたそうです。

小さい頃からピアノを弾くことが好きで、5歳から19歳までピアノを習っていました。

大人になってからはいろいろな仕事を経験し、派遣先で知り合った夫と結婚。ほぼ同時に妊娠がわかり、仕事をやめて出産、育児に専念することにしました。

妊娠がわかった時はびっくりして嬉しくて、何度も検査薬で確認しました!お腹がどんどん大きくなる中で、だんだんと母になる実感が湧いていきました。

出産はすごく難産で、子宮口が開かず、2日間陣痛に苦しみながらやっと生まれてくれました。美音は本当に、頑張って生まれてきてくれた。その時から美音は頑張り屋さんだったのだと思います。

こんなに愛おしいと思える人がこの世にいるのか!

初めてその姿を見たとき、とにかくかわいくてこんなふうに思いました。よく泣く子だったので、助産師さんたちに「元気が良いから将来は体操選手かな!?」なんて言われたのを覚えています。

娘の発達が遅いのはなぜだろうと悩み続けた

美音の発達に不安を感じたのは、生まれてしばらくしてから。生後3ヶ月あたりに、首の座りが弱くて、「他の子どもとちょっと違うな」と思いはじめました。

生後6ヶ月の頃には、体重の増えも悪くなり、周りの子が大きくなり、できることが増えていく姿をみて、違いをさらに顕著に感じるようになりました。

病院を受診しても、原因はまったくわからず、はがゆい気持ちでいっぱいでした。

最初は栄養が不足しているのではないかと思い、食事のバリエーションを増やし「楽しく食事してもらおう」と工夫していました。また、毎日のように児童館に連れていき、同年代の子と接する機会もつくりました。

この頃、お腹には第二子もいたのでママ友にたくさん助けてもらっていました。

夫は発達が遅いというのが個人差としか思っていなかったようです。私はとても不安で、夫と一緒に区の育児相談に行きました。そこで初めて美音の発達の遅さにに気づいたんです。

すぐに今の主治医を紹介していただき、検査をするために初めての入院。その検査で言われたことは、「頭が小さいので、小頭症気味ですね」ということだけでした。その他は異常がなく経過観察をすることに。

以前は食が細く体重が増えなかったものの、病院では頑張って食べて体重も少し増えたので、そのまま退院となりました。

その後、再び体重が増えなくなり、生後10ヶ月頃からは、「経鼻経管栄養」という、鼻から胃にチューブを入れて栄養をとる方法を始めます。

【写真】鼻から胃にチューブを入れて栄養をとっているミオンさん

(提供写真)

朝晩2回、1時間かけて栄養を注入するのですが、手動で注入速度を調整していたので、せっかく注入したものを全て吐いてしまったりすることも。なので目を離すことができず、朝の分の注入にお昼過ぎまでかけてしまうこともあり、当初は外出することすら難しい状況でした。

栄養はちゃんと摂取できるようになったので、「ご飯をたべさせなければ」というプレッシャーからは解放されましたが、鼻にチューブが入った姿をすれ違う他人に見られると、複雑な心境になりました。しかし、食事ができなくなったわけではないので、「栄養剤や苦いお薬は経管栄養で、お口からは美味しいものだけ食べようね!」とよく美音に言い聞かせていました。

「ミトコンドリア病」と診断され、悲しくて仕方なかった

1才5ヶ月の頃、美音は「ミトコンドリア病」という病気があることがわかります。

きっかけは美音に目が揺れる症状(眼振)を発見したこと。MRIをとることになり、やっと病名がわかりました。

ミトコンドリア病では、個々の細胞の働きが低下したり消滅したりするのですが、それがどの細胞にも起きる可能性があるため、さまざまな症状が現れます。神経、筋、心臓など臓器の症状から、脳や感覚の症状や発達の遅れなど、あげればきりがありません。

やっと治療ができる。

診断がおりた瞬間は、そう思いほっとしました。でも医師の診断を聴くと、美音は小児期に発症するミトコンドリア病としては最多の病型を示し、その多くが早期に死亡するといわれているリー脳症。難病であるがゆえに、今はこの病気に治療法がないことがわかりました。

先生の誤診じゃないか。

私のなかに、その診断を信じたくない気持ちが募りました。

そのとき夫や家族は、事実をただただ静かに受け止めていました。今思えば、美音の母である私の様子をうかがっていたのかもしれません。

私はずっと信じられない気持ちで、心ここにあらず。お風呂に入ったはずなのに気付いたら髪も体も洗っていないまま出ていることもたくさんありました。

主治医からは「ミトコンドリア病の症状は軽いものから重いものまで幅があるので、自分であまり調べない方が良いかもしれないです」と言われていました。

ですが、やはりどうしても気になったので調べてみると、当時は「予後不良」や「10才まで生きられない」といった情報ばかりだったのです。重い病を美音に背負わせてしまったことに対して自分を責めました。大切な娘が10才までしか生きられないかもしれないと想像すると悲しくて仕方がなかったです。

震災を経験し、前を向いていこうと決意

ミトコンドリア病を診断されてからは、健康な子どもの姿を見ることすら辛く、テレビで子どもが出演しているCMさえ見られませんでした。そんな中、東日本大震災が起きたんです。

テレビでは、津波でご家族やお家、思い出の品々を流されてしまった方たちが、「絶望の中それでも明日は来る」のだとおっしゃっている姿に様々な思いが生まれてきました。気づけば、被災された方に何かできることはないか、と模索し前を向いていました。

想像もできない大変さの中にいる人たちが前を向いているのだから、私も自分なりに前を向かなければと思ったのです。みなさんが生きていこうとする姿に、私はとても励まされました。

そして、自分が悩んでいることがすごく小さなことだと思い始めました。

目の前にいる美音は、生きている。美音の命を私が勝手に諦めて希望を捨ててはいけない。

そう思えるようになったのです。

そこからも、美音の体には様々なことが起こりました。

1才10ヶ月の頃には、病状が急変し呼吸不全になりました。夜中の異変に私がもし気付かなければ心臓が確実に止まっていたと主治医に言われました。その後、呼吸不全が回復しなかったため、気管切開手術を行い、人工呼吸器にて24時間呼吸のサポートを開始しました。

3才になると退院して、在宅生活を始めることができました。胃から栄養を直接摂取するための胃ろうをはじめ、その後も入退院を繰り返していますが、成長するにつれて入院回数は減ってきています。

娘に何が起こっても、笑顔のママを思い出せるように

今思い起こしても、病状が特によくなかった1才10ヶ月から2才までの変化は辛いものでした。

病名を告げられて、やっと前を向こうとしていた矢先だったので、何度も谷底へ落とされたような気持ちになりました。動いていた手や足が動かなくなり、目も合わなくなり、呼びかけにも応じなくなり、美音の意思が感じられにくくなってしまったことが何より辛かったです。

暑いのも寒いのも痒いのも気付いてあげたいのに、気付いてあげれなかった。唯一反応があるのは、痰の吸引などの苦しいことだけで、苦しむだけなのに生かしてしまったのではないかと、助かったことを後悔し、ただ病室で寝ている美音を眺めていました。

主治医から言われたように命の期限が短いのだとしたら、近いうちに最期がくるのだとしたら、美音が最期にみたママの顔が泣き顔だったら美音はどう思うだろうか。

いつだか、こんな思いが頭をよぎったのです。最期に見るのだとしたら、きっと笑顔のママが良いに決まってる。

そう思うようになってからは、これからどのような状況になるか分からないけれど、同じ時間を美音と過ごすのなら笑って過ごそう、と決めました。

家族や地域の人の支えのなかで暮らしていく

美音は今も、24時間人工呼吸器が手放せない状態で、ご飯も胃ろうから、ちょっとずつ栄養を入れています。排泄も自分では難しいため浣腸して排便を促したり、たんの吸引をしたりするなど、医療的ケアが必要な状態です。体温調節も自分では難しいので、2時間おきに体温を測っています。

この状況でも子育てができるのは、母と夫のサポートが大きいと思います。基本的には私がケアをしていますが、母は仕事を辞め、平日同居というかたちで支えてくれています。これが何より在宅生活の安定に繋がったと思います。

美音のため、と快く承諾してくれた母と夫には感謝しかないです。

そのほか、訪問看護師さんに週4回きてもらい、訪問リハビリや訪問入浴もお願いし、医師も自宅に往診してくれています。

また、美音は支援学校に訪問学級という形式で在籍しており、先生が訪問してくれるときはさまざまなことをしてくれます。朝の会からはじまり、身体のマッサージをしてくれたり、本を読んでくれたり、一緒に歌を聞いたり、季節にあったカレンダーを作ったり。バレンタインにはチョコを作り、冬にはお餅つき。ありがたいことに、先生がいろいろと工夫してくれています。

美音は図工と音楽が好きで、特に、紙にのりを貼ったり太鼓を叩くのが好きなようです。先生には「真面目な性格だ」と言われています。

先生はよく写真も撮ってくれるのですが、写真を撮るときに美音は、目をぱっちり開けます。写真を撮られるのも好きみたいです。

【写真】ベットに寝ながらお餅つきをするミオンさん

(提供写真)

我が家は、母、友人、美音に携わってくださる方々など、たくさんのサポートがあって今の生活を送れています。

命と向き合う毎日、家族だけでなく、たくさんの方々に支えてもらって、みんなが自然体で過ごす。これが我が家の家族のかたちだと思います。

「守っていかなきゃ」2人の兄弟も、姉を大切にしてくれている

【写真】背中から美音さんを抱きしめる弟さん

(提供写真)

美音には2人の兄弟がいます。優しくて家族思いの小4の弟と、甘えん坊の小1の妹です。

私自身、美音のそばにいるとても癒されるので、たまにボーッとしながら美音のそばにいます。すると弟妹も近くにきて顔をのぞいてほっぺをツンツンしていたり、妹は美音におままごとの相手をしてもらったりもしているんです。

子どもたちにとっては美音がいるのが普通の日常で、「美音、これ貸してね〜」などと声を掛けていたりしています。

子どもたちをともに育てる上で、一番大事にしているのは優先順位です。

3人とも同じように大切だけど、美音のことは命に関わることもあるからどうしても先にやらなきゃいけない時がある。

そのことをずっと前から伝えています。なので、もし弟妹が私を呼んだとしても、「今は美音のことをやっているから待って」と言うと、「わかった」と納得して待ってもらういます。逆に美音のケアのほうが緊急でなければ、美音に待っていてもらうことも。

子どもたちは幼いながらも、美音は「みんなで守っていかなきゃいけない存在」だと言うことはわかってくれているようで、「今日心拍高くない?」とか、「今苦しそう」とか、ポイントをしっかりおさえてくれています。

「美音が歩けるようになったら、病気が治ったら、こんなことがしたいな」と話してくれるときもあるのが、とても嬉しいです。

どうしても私が美音へ費やす時間が増えてしまうのですが、フォローしてくれる夫や母がいます。下の子どもたちとの時間をとることが難しくない環境にとても感謝しています。

音楽活動で、ミトコンドリア病を伝えていく決意

私は今、主婦によるバンド「音ごはん」のキーボードとして活動しています。

音ごはんには3年前から加入したのですが、もともとは『寝顔にこもりうた』という曲に感銘を受けて、美音が入院している病院でコンサートをやってほしいとリーダーに伝えたのがはじまりでした。

その後も連絡を取っており、リーダーも子どもが超未熟児で生まれて、たまたま通っている病院が同じで、ご縁もあり、「お世話になった病院でコンサートするからピアノひかない?」と誘ってもらったのがきっかけでした。

【写真】おとごはんのメンバーのみなさまが笑みを浮かべている

(提供写真)

ある時、美音と同じミトコンドリア病の子を持つ親御さんが、治療薬を作るために立ち上げた「7 SEAS PROJECT」をネットニュースで知りました。それを見た私たちは募金活動を始め、その中で、音ごはんでチャリティーソングを作り、クラウドファンディングを実施して、CDを作成しました。

歌詞には自分の願いを詰め込んだのですが、長男も同じタイミングで、「お姉ちゃんの病気についてもっとたくさんの人に知ってもらった方がいいんじゃないか」と言ってくれました。

自分の友だちにお姉ちゃんがいることを知ってもらいたいけど、病気についてうまく説明できない。そのなかでもなんとか説明をしていたのだそうです。その話を聞いて、まずミトコンドリア病という言葉を知ってもらいたいと感じました。

美音の笑顔をもう一度見たい。

ミトコンドリア病が治る病気になってほしい。

そんな思いを込めて、「七つの海の音」という曲をつくりました。

ミトコンドリア病を知ってますか? 突然 自由がうばわれる
小さな身体でベッドの上 過ごしているのです。

想いはみんな同じだよ 今 ひとつになる
いつか この闘いが 終わりますように。

みんなの願いを込めたこの曲は、ミトコンドリア病のことを伝え、同じ病気の子どもたちへエールを送る歌詞になりました。

様々な反響も寄せられました。同じ病気の方から連絡をいただいたり、違う病気でも難病に悩む方、親御さんから応援のメッセージもらったりする中で、とても心強い気持ちになりました。

子どもたちもとても応援してくれているので、これからもミトコンドリア病の普及活動を続け、また歌詞も書きたいと思っています。募金活動も継続して、私たちらしいペースでこれからも活動していきたいです。

言葉は相手を傷つけるものにも、励ますものにもなる

今思うのは、同じ言葉でも相手の状況によっては励ます言葉にもなるし、傷つける言葉にもなるということ。例えば、美音と一緒に外出していると「かわいそう」という言葉を言われることがあります。

今はそう思われても仕方ないと思えますが、昔は言われる度に「美音はかわいそうなのか…」と落ち込んでいました。

言った相手は、傷つけるつもりで言っているのではないと思うのですが、言われた方の状況次第で言葉の意味はこんなに変わってしまうのだな、と気付きました。

身近な病気の子どもやその親御さんにどう声をかけたらいいか迷う方も多いと思いますが、私自身は、私たちを”気にかけてくれる”誰かの言葉がとても嬉しいなと思います。会うたびに「美音ちゃん、体調どう?変わりない?」と聞いてくれる方は、本当にありがたいと毎回思います。

私は「スーパーお母さん」じゃない

ミトコンドリア病と診断された時も、これまでもネットでいろいろな情報を調べてきました。そのなかで、闘病している子どものお母さんのブログをたくさん読みました。

どんな生活しているか知りたくて、診断された当初はよく見ていたのですが、「すごいお母さんたちばっかりだ」「私にはこんなすごいお母さんにはなれない」と思ってしまいました。

前向きなお母さんの心持ちを見ては、「私はそんな風には思えない、やっていける気がしない」と感じていたのも事実です。

でも今、病気の子どもがいる親御さんに伝えたいのは、焦らないでほしいということ。私自身、一番下の子を出産後、大変すぎて泣いたことが何度ももありました。そんな時期を経て今では、子どもたちが少しずつ私のことを助けてくれるようになっていて、心強く感じています。

最初からみんな「スーパーお母さん」じゃない。だんだん経験を積んでくれば、なるようになるよ。

悩む親御さんにはそう言ってあげたい。時間をかけて、いろんなことを受け止めていけばいい。

でも本当は「スーパーお母さんなんていない」と私は思います。

医療的ケアが必要でも必要じゃなくても、お母さんはみんな子どもを守り育てることに必死。子どもも1人ひとり成長の仕方も違うのだから、お母さんも子どもたちと一緒に成長していければいいなと思います。

これからもただ、一生懸命生きようとする子どもを守るだけ

今日と同じ明日を迎えることは当たり前じゃない。

美音を育てていくなかで、こう学びました。

進行性の難病ということを考えると、日々僅かながらでも病気は進行しているんだと思います。今日は無事だったけれど、明日は分かりません。今日と同じ日は二度と来ない。

でも、忘れがちですが、それは健康に暮らしている人も同じなんですよね。昨日と同じような今日を過ごせたことは、実はすごく幸せなんだと思います。

【写真】ミオンさんのそばにいて一緒に動画を見ている妹さん

(提供写真)

おかげさまで、美音は生き続けることができています。ミトコンドリア病に詳しい先生と話す機会があった時、「今9歳だ」と伝えたら「長生きですね」って言われたので、奇跡的な領域なのかもしれません。美音は本当に頑張り屋さんです。

診断されてからこれまで、いろんな気持ちがグルグルと回ってきました。でも今は一周して、子どもが熱を出したらお母さんが心配して看病するのと同じかな、と思えています。ただそれが難病であるだけ。

病気は誰でもなりうる可能性がある、たまたま美音はそれがミトコンドリア病だった。だから、今は一生懸命生きようとしている美音を全力で守りたいと思っています。美音はかわいさと強さを持った自慢の娘です。

ミトコンドリア病に限らず、難病の多くはまだまだ一般的に認知はされていません。自分や、自分に近しい人がかからないと、調べることもないでしょうから仕方ない部分もあります。でも、今不調がある人が早期発見できるという視点で捉えると、知識としてあった方がいいし、たくさんの人に知ってもらうことが大切だと思っています。

これからの時代、いろんな家族のかたちが増えていきます。特別養子縁組など、家族のかたちは多様化していくでしょう。他の人から見ると、うちも医療的ケア児がいて特殊な家族だと思われるかもしれません。でも、少し特殊でもすんなり受け入れてもらえるようになればいいなとこっそり思っています。

そして、いろんな家族が増えていく中で、様々なサポートを選択ができる世の中になってほしいです。

穏やかな日々のために

梅雨に入りますと、日射が少なくなって気圧も下がりやすく、

頭痛がひどくなる人も多いようです。

皆様いかがお過ごしですか?

 

ミトコンドリア病は病歴、病状が様々です。

しかし、病状がわかりにくくて、安定しないのが

患者家族の悩みではないでしょうか?

皆さん悩みがそれぞれ違い、それぞれに深刻です。

穏やかな日々が、私たちにとってどれだけ有難いものでしょう。

 

 

我が家の悩みを話します。

ミトコンドリア病メラス3243変異の龍は睡眠障害がひどくなると

交感神経が立ちやすくなり、興奮して自分勝手にしゃべりまくります。

夜中も寝言、朝も早くから起き上がり、

サカナにエサやり、通所にも週5回朝9時から午後4時まで

(送迎付き)出かけられますが。

 

常に眉間にしわを寄せて独り言が多くなります。

「心の声」

自分はどうしてこんな病気になってしまったのだろうか?

勉強してきたことができなくなったり、

友だととの話もできなくなって誰とも会えなくなってしまった。

このような不安な気持ちをずっとずっと自問自答しているのだろう。

 

「○○先生は忙しくて来れないよ。目の聞こえない人や

車いすで歩けない人もたくさんいて大変なんだよ!」→病院には入院したくない。

「○○君は、友達たくさんいるんじゃない?

忙しくてうちにはこれないんだよ。」→友達と会えなくて寂しい

 

辛いよ、痛いよ、苦しいよ

という感情的な言葉ではなく

時に突き刺すような目つきで

家族の皆にひたすら話し続ける。

彼の中では完結している言葉の連続。→保続状態。

 

もっと悪くなると、出かけた先でも所かまわず話している。

社会性がないと理解できても、家族のやることまで侵食してくると

家族でぐったりする。家での介護に限界を感じる。

ここに暴力や逃避はないが、

家族の生活が脅かされているのは間違えない。

とくに母親の心の余裕がない時は、さらに相乗的に症状は悪化する。

コロナの不安なテレビの情報にも反応していると思われる。

 

先日介護士を通じて、地域の器のある先生と出会い、アルギニン点滴を入手、介護士が一回自宅で施術してくれる機会を得た。

翌日から睡眠が深くなった。流れが良くなったのだと思う。

それからは、彼は自分を取り戻したかのように

以前のように、楽しみに集中する、前の龍に戻った。

 

私のようなふてぶてしく、夢中で周りの迷惑顧みずにやってしまう母親であれば

あり得ることかもしれないが、このような事実を、生活を、世に伝えなくてはいけないと思ったのです。

だから声をあげて認知症が進む患者にもアルギニン点滴を!

保険適応の交渉を進めます。

皆さんの悩みはどんなことでしょう。

どんな時も、どんな症状にも

患者家族が、知恵を分かち合い、つながっていくこと。

患者家族のつながり

医療とつながり、地域とつながり、

我が家の平穏を取り戻すために。

ミトコンドリア病患者家族のために

穏やかな日々を!!

さくらばたけまつりスライドショー

関東梅雨に入りました。

自律神経が乱れる時期です。

湿度で骨をゆるみやすいので

上手に整体すれば

呼吸の通りも

気の道の流れもよくなるはずです。

と思うのですが・・・

ミトコンドリア病メラス精神症状と脳の高次機能障害のダブルパンチは

とても不思議なつながりで

あまり実践通りにいかないところが歯がゆいのですが。

昨日も雨が降り、釣りに行けませんで、

新江ノ島水族館に出かけました。

意外と混んでいました。

みんな開放感からか興奮している息が感じられました。

龍はすごく集中して楽しんでましたが、

水族館のあと、江ノ島の海で釣りに行きたい!

でもいけない、となると、精神状態がおかしくなり

独り言で自分のつらさを吐き出します。

いろんなパターンがあると思いますが

本人の中では、ムンクの叫び。

館内を出て、カフェで一時間ぐったりしていました。

 

メラスの患者様の精神症状は複雑ではないですか?

 

24才にもなって、子離れしてないね、

といわれたら、それまでなのですが

病気と寄り添うために必死です。

叫びは、日に数度起こり、人とのコミュニケーションが

とれない今、コロナの状況だからなのか認知症が進んだのか

わかりませんが

釣り糸のように複雑に絡み

ねがかりして、そのたびに家族は地に落ちたように苦しみます。

ほっとけば!

といわれたらそれまでですが、

介護している方の苦しみは

今いる本人との体と心の対応ですので

簡単にかたずけられません。

 

自分は表現者として

ねがかりを紐解くきっかけとして

息子を表現の中に入れてみます。

その間はとても体も心も軽くなります。

自分は、親という括りから離れて

ミトコンドリアに捧げたい気持ちで

おどっていると

彼も、それを受け止めてくれる、いや自発的に

動いて、揺れている。

そして、脳は改善されていないけど

彼は今ここにいる

仲間がある

とたてなおって、次に進むことができる

これが生活なのかなと思います。

2020年4月19日

自宅近くのさくらばたけで表現者の集まるおベントを計画していました。

今年は延期を余儀なくされ

集う人たちが自発的に

さくらばたけまつりのスライドショーを作ってくれました。

遠隔で、出演者がアメージンググレースをつないでくれた作業は

涙、涙でした。

もしよかったら、ぜひご覧ください。

次男ミトコンドリア病メラスを取り巻く表現者たちの取り組みとしても

開放されるところがあるかもしれません。

https://1drv.ms/v/s!AoZ5JCG44suf4Wd1cZ3JfuvVBwJJ?e=dYsVQh

パスワードは1234

メラスの息子と生き抜く

いのちは、みんなかがやいている

ミトコンドリア病に限らず、

様々な障がい、病を持つひとりひとりの

いのちも、みんなかがやいている

ひとりひとり一生懸命生きている。

辛い体も心も

生のカンバスに

一刻一刻をいのちのありようを刻み込む。

私は、学生時代芝居をやっておりました。

出版社でも働きました。

両方とも苦しくてやめました。

そのあと、言葉のない肉体の表現ー舞踏を始め、自然の中、舞台空間いろんなところで踊りました。

テーマは、いつも、いのちのつぶ。

同時に、思春期から体が弱かったので

自学でヨガをやり、筋肉や神経のつながりを自分の体に教えてもらい、

今もライフワークにしています。

長女が生まれ、長女の周りのいろんな子供たちと舞台を作りました。

いろんな子供と遊びながら、ハンディーある子の素敵さを学びました。

4人の子に恵まれました。次男が17歳でミトコンドリア病メラス発症しました。

ミトコンドリアは、いのちの最小のつぶです。

いのちのつぶを感じると

全てを受け止めることに集中できるときがあります。

いのちのつぶは、感覚を持っていると思いませんか?

私は認知症が進む息子と踊り、絵を描き、粘土を練ったり

息子のミトコンドリアがいろんなことを教えてくれます。

いのちのつぶは、いろんな人を集めてくれます。

我が家では、ミトコンドリアみどりの会懇親会のほかにも

いろんなイベントを企画して

いろんな人が壁を作らず、集う場つくりをしています。

 

イベントに集まってくれた皆さんが

息子と語らってくれて、とても素敵な時間を紡ぎます。

写真はしんかい6500に何回も乗り込み、深海の生き物研究をしている博士です。

皆さんもぜひ遊びに来てください!

病はつらいけど、病がいろんなものを語ってくれると思います。

 

メラスにおけるアルギニン静注点滴保険適応要望書

ミトコンドリア病メラスにおける静注点滴の保険適応申請について
厚生労働省○○係御中
ミトコンドリア病は、希少難病です。
病態の多くは多臓器にわたる複雑なもので、発症年齢も、病状も多岐にわたるので、
日本では患者数やその重症度、生活の質等、患者の実態がつかめなかったために
新薬の治験が進まず、病を囲む人々の苦労は計り知れません。
中でも患者が国内約一千人と、最も多く、思春期以降の突然の脳梗塞様発作や痙攣を繰り返し、予後もおもわしくない、MELAS(メラス)患者は、症状の差は人それぞれですが、多臓器の病状憎悪に加え、脳の高次機能不全によるコミュニケーション・認知障がい、精神症状の悪化で、日常の介護の難しさ、と同時に、社会の理解と周知に家族の苦労は一入です。

しかし、メラス患者の発作から数時間以内にアルギニン点滴を施された患者のほとんどは脳の改善がみられ、早めに治療することの有効性が患者家族間でも確認されています。ミトコンドリア病患者が希少であるために保険適応が今だなされずにおりますが、現在、国内の医療関係者の尽力により、メラス患者の薬剤アルギニン服用は、広く知られるところとなっています。こちらも地域格差なく、徹底した情報が流れることを望んでおります。

また、メラスを発症した患者のその後の症状が悪化した時も、静注点滴をした場合の改善はたくさん報告されています。しかし、現医療体制の中では、自宅、あるいは医療現場での外来点滴は行われていません。残されたいのちの時間を、家族とともに過ごすことを望むために、私たち患者家族は、入院せずに、自宅、あるいは外来にてアルギニン点滴を行えることを望みます。認知症状、精神障害、易疲労が進み、日常生活が困難な状況で、介護する親も齢を重ね、日常生活での患者介護についても他者との協力・連携がないとたちうちできない状況にはあります。しかしどんな状況であれ、子供の延命、病状の改善には尽力に臨みたいと思う患者家族であります。
アルギニンには、収縮して血流が滞っている脳の血管を拡張する働きが知られています。ミトコンドリア病メラスに対してのアルギニン点滴は久留米大学の古賀靖敏教授(小児科学)らは、注射や内服でアルギニンをとり続けたMELAS患者23人の経過を2008年から追跡。8割の患者が9年以上生存することがわかり、延命効果を確かめました。病状の悪化も抑えられたという報告があります。
いのちの切岸に立たされた患者と家族が共に共有する時間を少しでも豊かに過ごすための要望を、ここに提出する次第であります。
アルギニンの静注点滴の保険適応を患者家族一同こころから望んでおります。
審査が通りますよう、一同心から温かいお導きを望んでおります。
ミトコンドリア病みどりの会(代表伊藤千恵子)患者家族一同

メラスにおける保険適応について

アルギニン静注点滴要望書について
年初、久留米大学病院古賀医師よりアルギニン保険適応について協力要請がありました。
次男の病歴から、アルギニンの早期治療はみどりの会の代表としてやってきたことでしたのでできることはと思って動き出しました。古賀先生からはアルギニンの根拠情報や治験概要書などを送付してもらい、こちら側は厚労省に患者家族として要望書の提出をし、電話で何度かお話を聞き、対応の手順を間違えないように進めようと思っているところです。
現在厚労省医薬品管理審査課内で、注視してくださる方に巡り合え、メラス特有の症状についても話しましたところ、患者家族の心労に深く感じ入ってくれました。年令病状差はありますが、その不安定さに戸惑い不安に思う家族の実態を集めて、さらに周知を深めてもらいたいと思っています。アルギニンは根本治療でありませんが、病が見つかりましたらすぐ点滴をしてもらうことで脳のダメージが少なくなります。またその後寛解期、病状の悪化時に静注点滴をしてもらうことにより落ち着き、自宅介護もスムーズになっていった経験もあります。近くにいる親が患者の様子を一番把握確認できますので、いつもとは違う頭痛、痙攣、精神症状など確認した時は、速やかに静注点滴を施せるような保険適応申請です。
患者の病状が入院するほどではなく、外来診療で点滴を受けることもできるようになること、あるいは、訪問介護と主治医の連携により自宅での点滴ができるようになること。
早めに点滴してもらうことにより入院のストレスを免れます。
アルギニンは服用も可能になりいまさらと思われる方もいらっしゃると思いますが、メラス特有のストレスはどこで感じるかもわかりません。体や心のストレスにも対応するためには服用では収まらず、点滴を施したほうが良い場合があるはずです。

みどりの会は、患者家族の皆さんでくつろげる場つくりが一番ですが、息子のよ
うな例のメラス患者にはとりあえず一刻も早くアルギンをうってもらって、
予後を悪くしないようにと思って、数年前から声をあげています。、痙攣が止まった。頭痛が収まったなど、みなさんの経験の中でアルギニンの反応について少しでもお話しくださる方を募っています。
なんでも小さなことでもよいです。一言メッセージでもよいです。
根治ではありませんが一時の救済が患者家族の介護に光を与えているという事実をお伝えしていきたいです。
法律の下で医療がスムーズに運ばれ、安全で、有効に事が進むようになるべきと思うからです。

メールでも電話でも、連絡待ちます。