表現するということ

生きていることが表現です。

このことを前提に、

難病の苦しさは

常に死と対峙していること。

暗闇の中にも一筋の光がある。

生きていることの発信。

昨日は元気に見えていても、

今日の今は、息が薄い。

安定しない体の様相を

表現を以て、刻印する。

舞踏で遊ぼうⅡを11月10日に行いました。

秋の自然に浸ることを目的として

気ままに生きる姿を、舞踏家大野一雄氏の弟子

加藤道行氏があぶりだしてくれました。

私は龍と一緒に、魚をおどります。

コミュニケーションが難しくなった龍も

からだや心が解放される場所では

くねくねぐにゃぐにゃ、相手に合わせて感じるがままに

表現している。

カタチなどいらないし、感じるがままに動くことは

龍にとって魚の絵を書き綴る作業につながるらしい。

難病の龍と難病を介護する母は、、、ここでは、たいら。

タコやら貝殻やら、おこぜやくらげや海藻・・・

好きなように表現できる。

一刻一刻を生きる生活のカンバスに

龍は生を刻印する

河原に移動。焚をくべるひとのまわりで

絵を描いていた龍。川の流れ、風のささやき。

私は蔦とお話ししたり、空を飛ぶ鳥に挑発したり、、フィドル弾く人、、石をたたく人、、、みんな自由きまま。台風で痛めつけられた様相に畏敬を感じ、やはり自然は人を包み込んでくれる大きな懐。」

 

交流会も

話の内容がわかるとかわからないとか別にして

龍はその気ままさにその場の空気に

乗っかって、みんなとの居場所を作る、

誰も気を使っていない心地よさがそこにはある。

そのような空気の流れる場所をたくさん作ってあげたいと思う。

 

そのためには何が必要なんだろう。

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