このことを前提に、
難病の苦しさは
常に死と対峙していること。
暗闇の中にも一筋の光がある。
生きていることの発信。
昨日は元気に見えていても、
今日の今は、息が薄い。
安定しない体の様相を
表現を以て、刻印する。
秋の自然に浸ることを目的として
気ままに生きる姿を、舞踏家大野一雄氏の弟子
加藤道行氏があぶりだしてくれました。
私は龍と一緒に、魚をおどります。
コミュニケーションが難しくなった龍も
からだや心が解放される場所では
くねくねぐにゃぐにゃ、相手に合わせて感じるがままに
表現している。
龍にとって魚の絵を書き綴る作業につながるらしい。
難病の龍と難病を介護する母は、、、ここでは、たいら。
タコやら貝殻やら、おこぜやくらげや海藻・・・
好きなように表現できる。
龍は生を刻印する
河原に移動。焚をくべるひとのまわりで
絵を描いていた龍。川の流れ、風のささやき。
私は蔦とお話ししたり、空を飛ぶ鳥に挑発したり、、フィドル弾く人、、石をたたく人、、、みんな自由きまま。台風で痛めつけられた様相に畏敬を感じ、やはり自然は人を包み込んでくれる大きな懐。」
話の内容がわかるとかわからないとか別にして
龍はその気ままさにその場の空気に
乗っかって、みんなとの居場所を作る、
誰も気を使っていない心地よさがそこにはある。
そのような空気の流れる場所をたくさん作ってあげたいと思う。
そのためには何が必要なんだろう。