みどりの会zoom患者家族会~小坂先生を囲んで~Ⅱ

 

小坂 仁  先生

 

11月3日の患者家族に先立って、小坂仁先生からメッセージが届きました!!
4年前に膵癌の疑いがあった時の様子を、ミトコンドリア病医療推進機構の機関誌に寄稿したものだそうです。

 

『晩夏のある日に』
自治医科大学小児科学 小坂 仁

いつものように受診した健康診断で、膵臓頭部に腫瘤があり、膵管の拡張がありますと言われた。10月の出来事である。目の前が白くなった。外科系疾患に詳しくはないが、膵臓がんが疑われている。その治療が困難なことは知っている。御迷惑をおかけするため、親しい方々にすぐにご連絡をしたところ、ありがたいことに当日にCTを初めとする検査が組まれることになった。検査まで3時間。術前検査をひととおり済ませ時間が空いた。

日々刹那的に過ごしていた矢先の出来事である。真っ先には両親、家族に申し訳ないとの気持ちが浮かんだが、之ばかりはしょうがない。次に考えたのは、化学療法を受けるべきか断念するべきか、頭が鈍る薬剤は極力さけ、とにかく痛み止めはきちんと使ってもらおう、しかし後輩からの論文の指導が続けられるか、そもそも病棟でWifiはきちんと入るだろうかなど、現実的な悩み事が浮かぶ。小児科病棟への渡り廊下から見える病棟を囲む手入れされた花々と、周囲のからまつ林が今日はひどくキラキラして眩しい。本日の検査のあと、今後の方針が話されるであろう。その時取り乱さないように主治医からの話をきちんと聞けるであろうか。教育病院なので、若い研修医、学生もいるかもしれない。あまりみっともない対応はしたくない。病気は受け入れられないが、覚悟を決めよう。

何が心残りなのだろうか?若い人と取り組んでいるミトコンドリア病治療薬のことが真っ先に頭に浮かんだ。医者になって最初にやった実験は、血液からのPCR, ApaI酵素処理によるMELAS 3993A>G変異の同定だった。筋生検が不必要となる分子生物学の威力を体験し、そこから研究を始めた。その子は、優秀な、小学校の生徒会長。自宅で中心静脈を導入し、お宅にもお邪魔した。それから30年遺伝性難病に関わり、Leigh脳症の患者さん家族に導かれるように再びミトコンドリア病の研究に戻ってきた。いろいろな分野の臨床医や研究者と知り合い、忘れ得ぬ時間を過ごし、創薬の最前線にも関わることができた。しかし”ベンチからベットサイド”の随分手前である、等々考えているうちにCT造影検査。体が熱い。その後に検査結果の説明である。心づもりを整えようとしていたが間に合わないまま、診察室から呼ばれた。気持ちも拍動も乱れている。やはり整理するにはあまりにも時間が少なすぎた。

思いがけず問題ないとの結論がくだされ、点滴も繋がらず普段の診療・研究に戻ることができた。諦めかけたミトコンドリア病の治療薬開発にも戻ることができたが、他の希少難病も含めやるべきことは山積している。早期診断・治療のシステムを作りたい。学会への機内で話題の”君の膵臓を食べたい(略称;キミスイ)”をみた。将来ある若い女の子の願いはあまりにも切ない。しかし大勢の心に大切なものがずっと残る。明日は何が起きるのか、誰もわからない、“いま”を精一杯生きよと、映画のメッセージ。私の膵臓は大丈夫だったようだ。ならば、この瞬間にも新しい希望の薬を望んでいる家族がいる、その声に答えねば。
きもちを共有する医師、研究者、家族と力を合わせてやっていこう。

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過日、オールジャパンミトコンドリア病患者家族会では、小坂先生に本当にお世話になりました。

第2部の、患者家族から寄せられた質問に答えるコーナーでは、お忙しい中ファシリテーターを務めていだき、事前の打ち合わせ段階では念入りに準備を、本番では心のこもった議事進行をしていただきました。
会の終了後も、当日取り上げきれなかった患者様の声に耳を傾け、てんかんでお困りの患者様に、zoomで個別にアドバイスをしてくださいました。

私がブログに書いた、メラスの次男が発症前の高校時代に釣り部所属だった話を読んでくださったのか、ご趣味の釣りの話もしてくださり、とても親近感を覚えました。
先生のお住まいは海なし県の栃木ですが、横浜に住んでおられたときには、城ケ島、江の島で、メジナや、アイナメ、時にカレイ、船でメバル、アジ、タチウオなど釣られておられたようで、その腕もなかなかのものです。我が次男も、私が先生の釣りのお話をすると、とても嬉しそうに聞いています。

ミトコンドリア病患者家族は、温かく寄り添ってくださる先生に救われます。その先生が病と向き合っていたり、辛い境遇を背負っていたりと、私達と同じ立ち位置であることを公にしてくださるということは、とても勇気のいることのように思います。わたしたちが、先生たちとキャッチボールができることも、わたしたちの幸せです。
オールジャパン患者会での先生のお姿も、アポモルフィンの開発も、病を乗り越えてのお仕事だと知ると、先生からのメッセージに、改めて先生の凛とした人となりを感じました。

 

 

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