表現と病についての考察

 

メラス26歳の息子の話になります。

今年1月に新たに脳梗塞様発作を起こし、左側頭葉と後頭葉のダメージが酷く、8年前に連発した脳梗塞様発作のダメージと合わせて脳の萎縮が進み、ほぼ回復の見込みはないと言われている。

失認・失語・失行、視覚・聴覚障碍、筋力低下、易疲労、高次脳機能障碍、認知低下、ミトコンドリア病からくる精神障碍、といろいろ並んで、主治医からコミュニケーション不能と言われる。

色々並んではいるけど、感覚はしっかり残っているので、ジェスチャーや表情で快不快の表現や行動援助はできるし、生活のリズムは人一倍守ってくれている。

リハビリを通じて、できることが増えてきている。
ただし喪失感からだろう、たまに鬱症状を起こし、その先の拒否などには手を焼くことが多い。

ここひと月、喋りもぐっと減り、失行からか動きも鈍くなり、寝ていることが多くなり、食事も口に入れても吐き出したりすることがある。

胃瘻を使うのは嫌がり、うつ伏せになってしまったり、穴を塞いでしまうことがある。
固形物が嫌かと思い柔らかいものに変えてみても、歯固めクッキーみたいなものを食べてみたり、野菜ばかりを口に放り込んだり、こちらが配慮することも通らなかったりする。
薬だけはグイグイ飲んでくれるので助かっているが。

在宅療養の行き詰まりを感じるときも多い。

そんな折にも、彼の好きな表現活動は積極的に援護している。
通所も週5回通えていて、そこでは絵を書いたり、習字をしたり、ヨガやダンス、カラオケなども楽しんでくる。
この5年間やり続けてきたおかげでボールペン組み立てもできるようになった。

表現に関しては、デタラメ歌を歌ったり、ダンスもひょうきんに踊り、そんな時は私も一緒に乗って踊る。

筋肉が伸びるとミトコンドリアも元気になるということですもの、彼が動きたいときは、その動きに任せて動かしたほうがきっと良いと思っている。

舞踏家仲間の加藤道行さんが仲間の音楽家パフォーマーを連れてきてくれて、龍を囲んだ表現の場『おうち劇場』をひまわりヨガ道場で行うことになりました。
『おうち劇場』とは、100歳まで踊り続けた大野一雄さんを最後まで介護した加藤道行さんがライフワークとして行ってるもので、認知症など障碍を持つ方のお宅を劇場に見立てて、交流する場を作ろうというものです。

お家劇場の参加者は、普段から慣れ親しんだ人たちばかりではないけれど、そこにはある安心感が生まれる。
ありのままを受け入れてくれる、表現の場があるから。

 

 

以下、表現と病について軽い考察を書いてみました。

「今ここにいる」「今を生きる」ことの上で大事なのは、『今』を感じる力だと思います。

『今』とはいろいろです。
ミトコンドリア病の龍にとって『今』はとても刹那的です。

龍は一つのことを考え続けることが苦手です。
龍は考えをまとめることも苦手です。
内蔵の様子も、体液の様子も、筋肉、神経、脳内の様子も、ミトコンドリアの状態に依存するものが多く、自分でコントロール出来ないからです。

私は小さな頃から生きるカタチに興味を持って来ました。
いろんな表現を追い求めて来ましたので、それを見てきた龍も、自由表現に慣れています。

舞踏的な動きは、上手いとか下手ということより、『今』『ありのまま』ということが根底に問われるところであると思います。
なので、龍の好き勝手な言葉に体を乗せると、今乗っかった体が、次から次へと動きを紡いでくれます。

感覚の力はすごいなと改めて思っています。
「自由表現が嬉しい!」と、コミュニケーション不能な龍のからだが語っているとも思いました。

ミトコンドリア病患者は興奮を避けるようにと言われますが、感覚を呼び覚ます自由な表現は、不通になった脳内のシナプスを繋げるためにも必要ではないかとも思っています。
皮膚感覚で受け取ったものが体の筋肉や神経に繋がり、内蔵や脳にも伝達されるのだと思います。

と同時に、自由な空間での空気は、人のリズムに乗っかって人の内部にまで働きかける。
それは言葉を超えて、珠玉のコミュニケーションが生まれることにもなるはずです。
自然で思いやりのあるこのような場が、いろんな人の輪のなかで広がっていくことを期待します。